Music: Ariran
大阪市・天王寺周辺の歴史
歴史倶楽部 第74回例会 2003.6.29(日曜)

		◆第74回例会案内◆

		テーマ  : 浪速の「いにしへ」を歩く
		場所   : JR・地下鉄天王寺駅−四天王寺−真田幸村戦死の地−清水坂−大江神社−藤原定隆の墓−口縄坂−なんば解散
		日時   : 2003年6月29日(日) 9:00ー14:30
		集合場所 : JR天王寺駅改札前
		費用概算 : 交通費:梅田から天王寺まで、地下鉄・JRともに300円くらい?
		持参する物: 弁当、雨具、替え上下着。(多少の雨なら決行します。)
		見学コース: <JR天王寺駅出発> → <清水の地蔵さん> → <庚申堂> → <超願寺・竹本義太夫の墓> → 
			  <四天王寺> → <一心寺> → <安居神社・真田幸村戦死の地> → <通天閣・茶臼山古墳> → 
			  <清水寺・玉出の滝> → <大江神社> → <勝鬘院・愛染さん> → <藤原定隆の墓> → 
			  <浄春寺・田能村竹田石碑・麻田剛立の墓> → <口縄阪> → <なんば・昼食> → <解散>


		天王寺駅東口から出発して、以下の史蹟を順に巡った。アイコンに使った写真は、天王寺を中心にして毎年行われる「天王寺ワッソ」
		行列写真から拝借した。



		口縄坂を下った頃昼食にしようと谷町筋へでたが、なかなか食堂も弁当屋もない。「こりゃ、ここら辺にはないで。」と言うことで
		日本橋を目指したが、日本橋界隈にもこれという店がない。「いっそなんばまで行こうか?」「なんばまで行ったらもう戻ってくる
		気ぃせぇへんのとちゃう?」「どないする?」とケンケン諤々。そのうち、「もうあらかた廻ったし、今日はなんばまで行ってそこ
		で飲んで打ち上げにしまっか?」と提案したら、皆さん一も二もなく「賛成!」。全く飲んべえばかり。歴史倶楽部始まって以来、
		午後2時に終了した例会は初めてだ。



再び、谷町筋・上町筋へ
2003.7.5(土曜)


		例会終了後、家でHP化の為にデジ写真の整理をしていたが、何となく当初予定の「生国魂神社」と「高津宮跡」を廻らずに帰って
		きた事が気になっていた。何かすっきりしない。それに「高津宮跡」の近くには「近松門左衛門の墓」「井原西鶴の墓」もあって、
		時間があればここも廻りたいと思っていたので、例えは悪いがなんか途中で止めた排泄行為のような気分がしていた。そこで1週間
		後再び、今度は一人でその残した部分を訪ねて歩いた。以下の段がそのレポートである。思うに、こういう性格が「天皇陵めぐり」
		のような結果を生むのかも知れない。果たしていいのか悪いのか。
		梅雨の合間の、雨は幸い降らなかったが蒸し暑い湿気の多い土曜日だった。しかし、古い大阪の街並みと商店街や、立ち話するおば
		ちゃん達や途中何度か道を尋ねた街の人たちに、「これが大阪なんや!」というような部分を発見できて、庶民の町「おおさか」を
		再確認できた事はまた新たな喜びだった。




		私は大阪へ出てきて30年になるが、これまで「どこかまだ真の大阪人にはなりきれていないなぁ」と感じていた。今回その意味が
		分かったような気がする。本町や淀屋橋や梅田や堂島は大阪ではないのだ! 大阪は庶民の町だった。庶民がいる所、生活の場とそ
		の歴史を訪ねなければ、真に大阪を理解したことにはならないのだ。その意味では、歴史倶楽部の河原さんが言う、「どうして今ま
		でこういう例会がなかったのか不思議です。」という言葉は当たっている。やっと大阪が好きになれそうな気がしてきた。


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