Music: bad to me
清水寺・玉出の滝

歴史倶楽部第74回例会
2003.6.29(日曜)




		【清水寺・玉出の滝】

		安居天神を背にして右へ細い道を歩く。この辺りは令人町と呼ばれ、四天王寺に雅楽の演奏で奉仕する楽人が住んでいた。道なり
		に細い道を辿ってゆくと右側にやや広い庭のある家があり、そこを通り過ぎて隣に右へ入る通路がある。その奥に清水寺がある。
		突き当たりが不動堂で、回り込むと「玉水の滝」がある。






		この寺は、かつては有栖寺といってかなり古くからあったようである。寛永17年(1640年)に延海大阿闍梨が観世音菩薩のお告げを
		うけ、京都の清水寺から聖徳太子の作といわれる十一面千手観世音菩薩を遷して本尊として祀り、享保年間(1716〜36年)に新清水
		寺に寺号を変えたとされる。新清水寺の寺号が清水寺に変わった経緯は不明である。境内南側のがけからは玉出の滝が流れ、いま
		でも滝に打たれる人が見受けられるそうだ。この付近一帯は名水どころとして知られ、増井、逢坂、安居、土佐、金竜、亀井、玉
		出の清水を天王寺7名泉と呼ぶ。 「玉出の滝」も京都清水寺の「音羽の滝」を真似て作られたものと思われる。この水は上町台地
		の地下水で、年中枯れることなく落下している。玉出の滝から石段を上がって門を出て左へ回り込むと清水坂に出る。

 

 

 


		【清水(きよみず)坂 】

		左が清水寺、右が星光学園で、ひろくゆったりとした石畳の坂道。藤原家隆の墓から愛染坂の通りに戻り、谷町筋を南に下ると、
		星光学院と大阪府立夕陽丘図書館の間にゆったりした道があり、清水坂とつながっている。大阪市内で唯一滝のある寺として有名
		な清水寺の北側にあることから、清水坂と命名された。



 







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