Music: namida namida no taikoh_san
通天閣・茶臼山古墳

2003.6.29(日曜) 歴史倶楽部第74回例会




		【通天閣】

 		通天閣は明治36年(1903)、第5回内国勧業博覧会開催に伴うモニュメントとして計画され、建設が開始された。明治45年(1912)
		7月3日、初代通天閣が完成、高さ64m、総工費 \97,071.41円だった。勧業博覧会跡地は天王寺公園として整備され、通天閣は
		広告塔として利用される事になり、大正 9年(1920)ライオン歯磨のイルミネーションが輝いた。昭和18年には、戦時下の鉄材不
		足に答える形で300ton の鉄材として大阪府へ献納されたりしたが、昭和20年の終戦後、通天閣観光鰍ェ設立(昭和29年)され、昭
		和30年(1955)には2台目の通天閣が着工され、昭和31年10月28日開業した。  
		市営定期観光バスの路線にも組み込まれ、昭和33年には展望入場者数が100万人を突破したが、昭和37年(1962)、初の「飛び降り自
		殺」第1号が出現した。精神異常者だった。昭和51年(1976)には地下に「通天閣囲碁将棋センター」「通天閣劇場」などが完成
		し、第二の坂田三吉を夢見る少年や暇をもてあました浪速のオッサン達でにぎわっている。平成になって何度かの改修工事等が行
		われ、平成13年(2001)には通天閣開業45周年を迎えた。





 



 

 





上左端の紙型は、切り取って組み立てていけば通天閣ができあがる(上中)。これは入場時に半券を見せるとくれる。

 








		【茶臼山古墳】

		通天閣から茶臼山古墳が見える。四天王寺に保存されている大きな石棺の蓋は、ここから出土したものと伝えられているが、墳の
		形状も前方後円墳・円墳などと諸説あり、円筒はにわの破片など、通常古墳を形成する要素が殆ど認められず古墳説を疑問視する
		声もある。周壕の一部とされている河底池(こそこいけ)は、和気清麻呂(わけのきよまろ)が延暦(えんりゃく)7年(788)、
		上町台地を東西に横断する堀川を掘った名残りで、その土を積み上げたものが茶臼山ともいわれる。大坂冬の陣ではこの茶臼山が
		家康の本陣となり、夏の陣では真田幸村との激戦地となった。









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