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安居神社・真田幸村戦死の地

2003.6.29(日曜) 歴史倶楽部第74回例会



	【安居(やすい)神社・真田幸村戦死の地】 天王寺区逢坂一丁目3

		創建の年代は明白でない。四天王寺の創建と同じ頃と伝わる。祭神は少彦名命(すくなひこのみこと)であるが、平安時代、菅原
		道真が九州へ流される時に、ここで船待ちのために暫く「安居」したということから、道真を祭神として「安居天神」と言われる
		ようになった。菅原道真が太宰府へ左遷の途中、ここで安居の修法を行ったという。そのとき癇気を患い、ここの井戸水で癒した
		という。その井戸枠が、社務所の崖下に「かんしずめの水」の石碑とともに残っている(七名水の一つ)。古い社殿は空襲で焼け、
		現在の社殿は再建された新しいもの。狭い境内に樹木が茂っている。

 



 


		大坂冬の陣において、真田幸村は玉造に「真田丸(砦)」を築いて徳川勢をはね除けたが、外堀を埋められた夏の陣(元和元年:
		1615)では、起死回生を図るには茶臼山に本陣を構えた家康方に攻め込み、一気に家康の首を取るしかないと考えた。
		徳川家康の本陣を急襲し、暫時徳川方を窮地に陥れたが、戦い利あらずついにここで戦死した。 多くの大名達が徳川方になびく中、
		あくまでも豊臣方の恩顧に報いるとして果てた幸村を称えてここに石碑が建てられた。茶臼山は先ほど訪ねた一心寺のすぐ裏の方
		にあるので、ここから500mほどしか離れていない。

 

真田幸村戦死跡碑 (さなだゆきむらせんしあとひ)



 



 

 

 







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