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遙かなる西安 陜西歴史博物館 2005年9月24日








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	陜西省歴史博物館(せんせいしょうれきしはくぶつかん) 西安市省寨東路91号
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	中国文化の源である西安。その歴史を物語る先史時代からの逸品が揃う、中国文化財の宝庫である。1991年に開館した。
	あらゆる時代の出土品が陳列されており、陜西省で出土されたほとんどの逸品がそろっている。北京の「中国歴史博物館」、
	上海の「上海歴史博物館」とならんで、中国全土の中でも最大規模を誇る博物館のひとつだといわれる。見学した印象はま
	さしくそのとおりで、「周」「漢」「唐」など、1つの時代でほぼ1フロアを占めている。膨大な発掘出土品や資料がこれ
	でもかこれでもかと並んでいる。これで中国の発掘調査はまだ始まったばかりだというから恐ろしい。今後発掘が進んだら
	いったいどういうことになるのだろうか。北京の「中国歴史博物館」の「15分」に懲りたので、博物館見学はできるだけ
	時間をとってほしいと、事前に旅行社に言っておいたおかげで、ここの見学予定は90分を予定してあったが、それでも見
	残したところがある。
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	西安は、位置的には中国大陸関中平野のほぼ真ん中にある。北には黄河へそそぐ渭水(いすい)が流れ、南には秦嶺山脈が
	連なる。西周が初めてここに都を定めたのは紀元前11世紀(1134)のことである。以来、13の王朝がこの地を都として
	きた。その間およそ2000年。古都と呼ぶにふさわしい歴史を持ち、シルクロードの起点でもある。
	早くも前漢時代、絹は砂漠を越え、遙かローマの都にまで運ばれていたのである。また、日本との関わりも強く、阿倍仲麻
	呂、空海、そして今年(2005)墓誌が発見された「井真成」など、多くの日本人が遣隋使、遣唐使の時代から足跡を残して
	いる。古くは長安とよばれ、唐代には東西9km、南北8kmの城壁にかこまれた大都市で、人口は最大100万をこえ国
	際的な文化がさかえていた。その都は、日本の平城京・平安京のモデルにもなった。現在の西安市街はかっての長安の北部
	をしめ、トウモロコシを主体とした農業に加え、機械・製鋼・化学・繊維などの工業もさかんである。



則天武后の母の墓前に据えられていた獅子像。一見石像のようにみえるが、実は木造だった。




	陜西省歴史博物館は、大雁塔の北西にあり、面積は約1万6千平方m、参観ルートの長さは1500mに及ぶ。唐代の伝統
	的な宮殿建築様式で造られており、屋根には瑠璃瓦が使用されている。美しいその概観も一見の価値はあるが、収蔵されて
	いる展示品が第一級のものばかりで圧倒される。全収蔵文物は37万点にも及ぶというが、そのうち常時展示されているの
	は約3000点余である。特に、先史時代の彩陶瓶、殷・周時代の青銅器、唐代の金器や銀器、唐代墓の壁画や唐三彩など
	は、歴史マニアでなくともその美しさに息をのむ。世界が「古都の真珠、華夏の宝庫」と賞賛するはずである。




	展示室は年代順に3つに分かれている。第1展示室は、藍田猿人の化石を含む先史時代から西周時代(紀元前11〜8)、
	秦代までの、主に青銅器を中心とした展示品が並び、日本の漢字にはない青銅器がずらりと並び、見ものである。第2展示
	室は漢代から魏晋南北朝時代までのもので、第3展示室は隋、唐、宋、明、清の各時代の文物が展示されている。それぞれ、
	膨大な出土品が展示されており、色鮮やかな唐三彩などは必見である。また地下には各地の陵墓から発見された唐代の巨大
	な壁画が納められている。特に有名なのは永泰公主墓や章懐太子墓などから発見されたものであるが、色鮮やかな色彩で描
	かれ、当時の貴族たちの生活が偲ばれる。また高松塚古墳の壁画の様相と似通っていて興味を引かれる。展示物の多くは、
	もともと近くの碑林博物館に納められていたが、この歴史博物館の開館とともにここへ移され、碑林博物館は文字通り石碑
	などの石刻中心の展示となった。


		<西安の歴代王朝>

		王 朝	 建都期間	 	国都所在地

		西周	 BC1121-BC771 	豊京、鎬京(いまの長安県張家坡、斗門鎮一帯) 
		秦	 BC221-BC207	咸陽(いまの咸陽市窯店鎮一帯) 
		前漢	 BC206-AD8	長安(いまの西安市の北西) 
		新	 9-23		長安(いまの西安市の北西) 	
		後漢	 190-195		長安(いまの西安市の北西) 
		西晋	 313-316		長安(いまの西安市の北西) 
		前趙	 319-329		長安(いまの西安市の北西) 
		前秦	 351-384		長安(いまの西安市の北西) 
		後秦	 386-417		長安(いまの西安市の北西) 
		西魏	 535-556		長安(いまの西安市の北西) 
		北周	 557-581		長安(いまの西安市の北西) 
		隋	 581-618		大興(いまの西安市) 
		唐	 618-907		長安(いまの西安市) 











	博物館を出て、どっかへ電話している張さん。昼飯スケジュールの確認でもしてるのかな。あれ、午前中だったっけ。
	それにしても、この博物館の展示物の多さには舌をまいた。日本で出土している遺物の殆どはここにあると言っても
	いいくらいだ。もちろん日本へ伝わらなかったものもある。古くは前史時代から奈良時代あたりまで、日本への文化・
	文物の移入はここからもたらされていたのである。特に奈良時代、遣隋使・遣唐使の果たした役割は大きい。日本は
	かれらのおかげで、当時の最新の文化を輸入できて、国際社会に顔を出すことができたのだ。しかしながら、こんな
	遠方の、砂埃舞い上がる異国の地へ、まったく「遥けくも来つるものかな。」である。脱帽。



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