Music: chinese song 15
遥かなるシルクロード
2006年7月19日
北京から関空へ
■7月19日(水)
AM5:00に目が覚める。洗顔して準備し終わると、5:30にモ−ニングコール。ほんとに人が掛けてきて、眠そうな
声で「ニーハオ」という。こっちも「ニーハオ」と返すと、「This is morning call」という。「謝謝(シェシェ)」とい
うと「バイバイ」。笑ってしまう。人が掛けてきたのは初めてだ。5:40頃下へ降りて写真を撮っていると許さんが来た。
同じくここに泊まっていて、空港まで同行する東京からの親子連れを待つ。親父と10代の息子の二人連れ。ボロッチィ日
産車2台で空港へ。30分ほどで空港へつく。




空港へ着くと、許さんはここで帰ってしまう。これまでどのガイドもチェツクインを済ませて機内へ行くまで見送ってくれ
たのに、彼女はさっさと帰ってしまった。このツアーは朝昼晩と3食付のはずだが、彼女の朝食は2回ともパンと水しか持
ってこない。朝が早いから仕方が無いのかもしれないが、ガイドの裁量にまかされているとしたら彼女はだいぶ儲かってい
る。昼食も街中の普通の食堂だったし、車はオンボロ2台で、どうやら中国ではコスト管理もガイドが引き受けていそうだ。
この旅では都合4人のガイドに世話になったが、彼女が最低のガイドだったかもしれない。人当たりはよく案内もいいのだ
が、ガメツイ印象を受ける。北京はやはり少しスレているのかもしれない。

北京2日、西安2日、敦煌1日、トルファン・ウルムチ2日と、都合4人のガイドは、許さんを除けばいずれも20代前半
の、大学を出たばかりの若者たちだった。ガイドになって1,2年で、そのせいで日本語はあまりうまくないが、必死で客
の要望に答えようとしていた一生懸命さは賞賛に値する。3人とも将来は日本企業で働きたいと言っていたが、それは高給
だからだ。敦煌より西では、大学を出てもあまり仕事がないと言っていたので、ガイドでもまぁまぁの年収なのだろう
(10000元ー15000元:15万ー22万:年収)。日本企業はもっといいのだ。それにしても黄さん。董さんといい、中国では若
い女性の活躍が目立つ。

今北京は急ピッチでも建設ラッシュだが、彼らが中堅になって活躍する頃の中国は、相当な実力を備えた経済国家になって
いることだろう。しかし経済大国になっているがどうかは疑問である。それは見てきたような地方の地位向上にかかってい
るような気もするが、見たところ、地方の経済力向上は望めないような気がする。経済力というのはイコール民力である。
民力というのは、人口地勢も勿論だが、文化度や教育度も大いに影響する。今回廻ったような地域の人々がそれを望んでい
るかどうかはわからない。経済は勿論豊かになりたいだろうが、生活習慣や住環境まで変えたいとは思っていないような気
がする。東アジアにおける驚くべき多民族国家としての将来の中国にこそ、中国の存在意義があるような気がする。社会主
義という体制がどこまでそれを実現できるのか、日本の高齢化社会と同様に、中国もまた人類にとっての一つの実験場であ
る。
9時20分発が9:40分離陸。12:19分(日本では13:19)関空着。メモには「車内、武田信玄。嫁半、イス2
つ占領ぐっすり。silver&gold。」と記録しているが、武田信玄、silver&goldは何のことかまったく記憶がない。

イメージが先行して、いつか一度は行きたかったシルクロード。今回こうして駆け足ながらその概要を見ることができたが、
目にするものすべてが新鮮で感動だった。稜々たる古へから今日まで、脈々と続いている人々の営み。砂漠と戦いながら或
いは同化して生きている人々の姿。いつか、歴史倶楽部の栗本さんが、「井上さん、シルクロード行ったらハマるらしいで
ぇ。」と言っていたが、確かにハマる。この世界は、一度来た者を再び呼び寄せるような魔力を持っているかのように私を
誘う。帰りの飛行機の中で、早くも「あぁもう一度行きたいなぁ」と思ってしまった。




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