Music: 草原情歌


遥かなるシルクロード





	<新疆ウイグル自治区博物館>
 
	新疆ウイグル自治区博物館は、中国の省クラスの総合的な博物館である。ウルムチ市の西北路にあり、1963年10月1日に
	オープンした。博物館の外観は、ウイグル風の建築様式で造られている。陳列室の面積は7800平方mあり、館内には歴史や
	民族の文物などが5万点以上収蔵されている。その中には1級文物が288点含まれている。収蔵品の中には、綾、錦、絽、紗
	などの絹製品や染物、刺繍など、漢代から唐代(紀元前2世紀〜紀元9世紀)にかけての多くの絹織物、毛織物、綿織物、麻織
	物や毛布、毛氈、打ち紐など古代の毛織物がある。また、漢字、ウイグル文字、サンスクリット文字、古代于聘文字、吐蕃文字、
	アラビア文字など多様な文字で書かれた文書や手紙があり、さらに晋〜唐代(2世紀〜9世紀)の時期に作られた木彫や塑像の
	俑、紙や絹に描かれた人物、花鳥の絵画もある。また、新疆の各民族の服装と工芸品もあり、こうした収蔵品がこの博物館の特
	色となっている。しかしここにあるもので、世界中で有名なものといえば何と言っても「楼蘭の美女」といわれる楼蘭で発見さ
	れたミイラであろう。






































































































西域から運ばれてきた果物や野菜は、中国本土へも運ばれたが、ここsilkloadにはしっかりと根付いている。









中国人の食生活の歴史がわかって面白い。さすがは「机以外の四つ足は全て食べる。」と言われる中国人である。こんな昔から!





シシカバブーはなんと紀元前800年にはもう食べられていたのだ。ヒツジ・山羊とナン、この食文化は現在も続いている。








































	「楼蘭の美女」<3800年前の美女>
	身長152cm(生前157cm) 血液型O型、死亡した推定年齢は45歳。南ロシアから南下してきた白人系人種と考えられて
	いる。眼は深く、鼻は高く、髪は黄褐色、明らかにヨーロッパ系の人種である。炭素C14法の測定からは、3880年前(+−9
	5年)という数字が出ている。1980年、中国新彊文物考古研究所の穆舜英女史を中心とするグループにより、タクラマカン砂漠
	の東、楼蘭鉄板河遺跡で発掘され、一躍世界中にシルクロードブームを引き起こした。
	発掘された時は全身が毛布でくるまれていた。毛布は胸で合わさり、木製の針でとめてあった。頭にはフェルトの帽子を被り、足に
	は羊の皮の靴を履いていた。帽子には雁の羽が二本さしてあった。頭の近くには、草で編んだ籠が置かれていた。胸元の木の針をは
	ずし、毛布を広げると、上半身は裸身であった。下半身には羊の皮の下着を着けていた。顔は黒くなっているが発掘時には白かった
	という。自然にできたミイラなので内臓も入っている。血液型O型。








	博物館の日本語ガイドによると、楼蘭美女はエックス線で見ると肺が真っ黒だったそうだ。おそらく、砂漠の細かな砂が肺に蓄積し
	てしまったのだろうという。彼女のDNAを調べると、ヨーロッパ人の血が70%くらい入っているアーリア系人種とのこと。
	発掘後に上海での防腐剤処理をしたため肌が一気に黒ずんでしまったが、以前はその美しさに世界中が驚愕したという。現在でも肌
	の色を除けば髪の毛の毛穴まではっきり識別できる。ウールの着物をまとい鹿の皮で作った靴を履き、帽子には鳥の羽が挟んであり、
	副葬品のウールのポシェットには木の櫛が入っている。現代の女性とあまりかわりがない。何の目的で楼蘭まで南下し、なぜここに
	埋葬されたのかなど、その経緯はほとんど明らかになっていない。






	また、新疆ウイグル自治区博物館には「楼蘭の美女」以外にもたくさんのミイラが保存されている。常設の展示は3つあり、第1は
	「新疆の少数民族の民俗展覧」で、12の少数民族の衣食住と交通、祭礼儀式、宗教などの民情や風俗を系統的に紹介している。
	第2は「新疆の歴史と出土文物展覧」で、シルクロードで発掘・収集された1000点以上の貴重な文物を展示している。第3が「新疆
	のミイラ展覧」で、ローランやハミ、チャルチャンで出土した女性ミイラが展示されている。開館:毎日9:30〜18:30で休館
	日なしというから驚く。日本の博物館も見習ってもらいたいものである。




	この博物館にはほかにもミイラが展示されていて、全部で12体ある。「楼蘭の美女」の隣にはローラン故城から発掘された3800年
	前の4,5歳のヨーロッパ人の子供のミイラが置かれている。体は編物で包まれている。その隣にはハミ出土の3200年前のヨー
	ロッパ人の20歳の女性のミイラが置かれている。辮髪をしていて、難産で死んだと考えられている。
	屈葬になっていて、毛織りのズボンをはき、毛布には模様が入っている。その隣にはイン磐故城出土の2000年前のミイラが展示され
	ている。顔に面がかぶされていて額に金の薄板がつけてある。肘には身分を表す印のついた布が巻かれている。ヨーロッパの男で身
	長は180cmある。また3千年前の赤ちゃんのミイラも展示されている。ほかにもたくさん展示されていて、ミイラは「楼蘭の美
	女」1体しかないと思っていたので驚きだった。この地方は乾燥し雨が降らないので、多くの埋葬遺体がミイラ化したのである。ま
	だ発見されていない古代人も、砂漠のどこかで眠っていることだろう。



















 
邪馬台国大研究 / 鳥魯木斉 / 新疆ウイグル自治区博物館