Music: chinese song 12


遥かなるシルクロード ベゼクリク千仏洞









	火焔山にそって、アスターナ古墳群をさらに西にゆき、途中から進路を北に向けムルトウク河に沿った峠道を登ってゆく。ほどな
	くベゼクリク千仏洞に到着する。火焔山の裏側となる。手前の土の色と奥の砂山の色 そして青い空のコントラストが綺麗だった。



	<ベゼクリク千仏洞>
	
	火焔山の岩崖に仏像群を彫りこんだのがベゼクリク千仏洞である。敦煌には有名な3つの断崖仏像群があって、莫高窟は有名だが、
	ここもそのひとつである。ここにはガイドはいない。見学できる洞窟は扉が開いており、見学客は自由に見れるようになっている。
	重要な石窟には係員が座っているが、所在無げに暇をもてあましているようだ。このベゼクリク千仏洞のテラスから火焔山がよく
	見える。ここに描かれている壁画や仏像は、中国でも有数の大石窟であったが多くが国外流出して、今は跡だけが残っている洞窟
	となっている。







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	トルファンの東50kmほど、高昌古城から東に20kmほどの火焔山の側にあるべゼクリク千仏洞は、 麹氏高昌国から元代ま
	で700年以上にわたって彫られた石窟である。中国でも有数の大石窟であり、ウイグル文化の粋であり第一級の資料であるが、
	イスラム教徒による破壊や、探検家によって国外流出したものが少なくなく、今は跡だけが残っている洞が多い。また文化大革
	命で破壊されたものも多いという。遺跡全体はこうした災禍と風化で相当傷んでいるように見える。







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ムルトウク河をのぞむ、莫高窟のように愛想のない壁とドア、ムルトウク河のえぐった絶壁にある千仏洞。














	27窟。この石窟は隋の時代に造られ敦煌の莫高窟より古い。仏像の光背が左右3つずつ残っているが仏像はドイツのロクーク
	に盗まれた。33窟。この石窟は11世紀に造られ、正面の涅槃台はドイツ人に盗られたがその後ろの壁画が残っていて、シャ
	カが涅槃に入るときに各国の使節が集まる場面が描かれている。上方には蓮の花を持った2人の子供が描かれており、右手には
	悲しそうな顔をした弟子の姿が描かれている。

	39窟。この石窟は12世紀に造られたが13世紀から14世紀にかけて破壊された。中央に立像があったがヨーロッパ人に盗
	られた。壁にはドイツ人が壁画を切り取ったときのナイフの痕が残っている。最後に31窟。ここには菩薩の壁画残っており、
	1つだけ煤払いをしてあって菩薩の像をはっきり見ることができる。ただ、煤を払ったと絵の具が落ちたので他の壁画は元のま
	まになっている。







  
邪馬台国大研究 / 吐魯番(トルファン)/ ベゼクリク千仏洞