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遙かなる北京
故宮博物院
2003年2月15日
【故宮博物院】
かつて明、清代の皇帝たちが絶大な権力と栄光を誇った宮廷「紫禁城」。故宮とは、「故(もと)の宮城」という意味で、紫禁城
のことを言い、その故宮の膨大な敷地全体がそっくりそのまま博物館となったのが、「故宮博物院」である。中国伝統芸術の枠を
集めており、1987年世界遺産に登録された。
しかし現在、「故宮博物館」と言った場合、世界には2つあることもよく知られている。すなわちここと、台湾(中華民国)台北
市の故宮博物院である。どちらも同じ名前なのがまた、その由来を表していて複雑である。日中戦争当時、北京に迫りくる日本軍
の戦火を避けて、蒋介石率いる国民党政府は、南京、重慶と紫禁城の宝物を疎開させた。そして、第2次世界大戦終了後、これら
の宝物は国民党政府の所有物として、米国第7艦隊に積み込まれ、台湾に持ち出されて、長く台中山中深くに隠されていた。第7
艦隊によって運び込まれた宝物は、原爆でもびくともしない台中シュルターに隠されていると噂された。やがて、台北市に近代的
保管設備を備えた「故宮博物院」が建設され、蒋介石が台湾へ持ち去った紫禁城の宝物のほとんどがここに収納されている。北京
よりも台北にある宝物のほうが、はるかに価値は高いし、内容も豊かだという事は明らかで、今も中国政府は台湾政府に対して返
還要求をし続けている。また、英国を中心とした西欧諸国・日本に対しても、中国政府はその略奪品を返せと要求している。
(日本の大谷探検隊がシルクロードから持ち帰った石膏窟壁画実物は、戦中ソウルに疎開、戦後そのままソウルの中央歴史博物館
に展示されている。)
【故宮博物院】
収蔵品数は100万点に及ぶ。仏教文物、陶磁器、書画、絵画、青銅器などの文物を収蔵。1925年から故宮博物院として一般
公開されている。1987年には世界遺産に登録され、世界各国から年間約800万人が訪れる。100万点のうち70万点が清
朝宮廷の文物だが、ここに展示されているのは、青銅器、陶磁器、書画、玉器、琺瑯(ほうろう)器、象牙(ぞうげ)の彫刻、武
器など清代にとどまらない15種類の600点。国外でも常時2000点を公開していると言う。残りの文物は地下倉庫に保管さ
れ、展示品は定期的に入れ替えされている。劉さんは、「国民党に持って行かれて、もうろくなもんは残っていません」と言って
たが、それでもまだこれだけあるのである。中国王朝が栄華を誇っていた時代の様子が偲ばれる。
皇極殿、寧壽宮に、皇帝皇后が愛用していた品々が展示されている。大半は台湾へ持って行かれてもまだこんなものも残っている
のだ。皇帝の服や皇后の装飾品、サンゴとか瑪瑙とか翡翠とかの精巧な髪飾りや置物、衣装や刀など結構すごいもんがある。ろく
なものは残ってないと劉さんは言ってたが、それでこれならこりゃ、一度台湾の方にも行かなきゃならんな。象牙製品が結構ある
が、特別な薬で象牙を柔らかくする技術があったそうだ。
金色の文物に目を奪われる。宝石をちりばめた金色仏塔、酒を入れる金つぼ、龍のつまみの金印など「豪華!」の一言。他にも、
象牙(ぞうげ)の敷物や玉座など、贅を尽くした文物で溢れている。
皇帝が着た龍模様の精巧な刺しゅうが施された明黄色の龍袍。康熙帝には300人以上の妃と55人の子どもがいたという。子孫
繁栄を願うと言ってもあまりの数の多さに驚く。300人!毎晩違う妃と寝ても1年かかる。きらびやかな装飾品が必要だったは
ずである。
珍宝館のガラスケースに並ぶチベット様式の金造仏塔。塔身には宝石がはめ込まれゴージャスな光を放っている。
館内、展示物ケースなどは埃っぽく、ガラスも薄汚れている。展示の方法や鑑賞者に対する気配りは最低である。これはとても博
物館とは言えない。せっかくいい展示品があってもこれでは鑑賞意欲がそがれる。しかし、それは我々が上野の国立博物館や、地
方に建った、金に任せて設備ばかり整えた近代的な博物館を幾つも見てきたからであって、日本でもつい数十年前はこんな状態だ
ったのだろうと思うと、もう一息だ、ガンバレ中国!と言うような気にもなる。
中国古代の伝統的な宮廷建築で作られた建物は、すべて木造なので火事が一番の脅威である。そのため、至る所に大きな水がめが
置かれ出火に備えていたが十分ではなかったようで、多くの建物が過去焼失し、現在の建物の多くが復元されたもの。唯一、欽安
殿が明代当時のまま残っている。
故宮の北の出口(勿論こちらからも入ることができる)は神武門とよばれており、門の上部には大きな字で「故宮博物院」と書か
れている。故宮を出ると正面に景山公園の山があり、「万春亭」が見える。この小山は人工のもので、故宮の外堀を掘った土を盛
り上げたものである。今回は行けなかったが、次は是非この公園から故宮を見てみたいもんだ。
故宮の北門である神武門を抜けて故宮博物院を後にする。バスの待つ駐車場へ行く途中、故宮を取り囲む堀が凍っているのが見え
る。外気はそんなに冷たくないのに、池や堀は殆どが凍っている。何度か中国に行ったことがあると言う歴史倶楽部の栗本さんや
錦織さんも、この点は不思議だと言っていたが、夜間の温度が低いのかもしれない。この堀を掘った際に出来た土を積み上げたの
が景山だ。山一つ作れるほど掘ったのだから、全くもって恐れ入る。
市中へでるとフートンと高層マンションが立ち並ぶ通りを、トローリーバスが走っている。紫禁城の周りには、こうした最新の高
層マンションと、フートンのような庶民的で、歴史的な住域が共存している。
今や中国は、携帯電話の利用者が5000万人を超え、アメリカを抜いて世界一だそうだ。歩いていてもアチコチでしゃべっている
中国人を見かける。一人っ子政策を採っているとはいいながら、既に人口は13億人を抱え、ネット人口も5000万とされる。
日本が10年掛かって4,700万人(2002年2月現在)だから、ほぼ3分の1の期間で同じ数になっているのだ。北京の街中に林立する
高層マンションの屋上には、大きなパラボラアンテナがあっちこっちを向き、アメリカのCNNから日本のスカパーまで、衛星放送
を受信している。先進国が行き着いた最先端の技術を、ヒョィと横からいただいて、中国は情報王国として世界に君臨する可能
性も秘めている。しかも民間の多くが、著作権や特許権などに敬意を払っていないし、どうも政府も黙認しているようなふしが
ある。このようなしたたかな中国に対して、我々日本人が甘っちょろい友情や好意だけで接していくのははなはだ危険である、
と言う意見にも耳を傾ける必要があるかもしれない。
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