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遙かなる北京 中国歴史博物館 2003年2月14日



		<中国歴史博物館>

		天安門広場は広い、とにかく広い。都市の広場としては、世界最大のものらしいが、広場の東側は中国革命博物館と中国歴史博物館、
		西側は人民大会堂、南側は正陽門と箭楼であり、広場には人民英雄記念碑と毛主席紀念堂が立っている。

		天安門広場をはさんで、人民大会堂の反対側に中国歴史博物館はある。1つの大きな建物が左右に分かれ、右側が歴史博物館、左側
		が革命博物館である。入り口前の石柱はとてつもなく高い。中国を支配し続けた大英帝国の博物館に対抗しているのではないかと思
		えてくる。革命博物館と、切符は別々に売っている。内部は広く、歴史順に整然と並べられているようだ。進路に従って歩いて行く
		と、自然に1周して、出口に出てくるようになっている。

 


		中国歴史博物館は、1961年7月に隣の革命博物館と同時に開館した。その前身は1912年に開設された北平国立歴史博物館で
		ある。展示内容は、170万年前の猿人から1912年の中華人民共和国建国までの中国の通史に関する展示である。中国史を通史
		で学ぶならここが一番と書いた資料があるが、我々が案内されたのは、「唐」の時代の小さな部屋だけだった。しかし、帰りに買っ
		た総合目録によると、北京原人から革命まで、あらゆる展示物があるようだ。文物と共にパネルや銅像など多くの展示品があるよう
		だったが、これがツアー観光の悲しいところ。ガイドの劉さんは「20分です、20分経ったら入り口の所に集合してくださいね!」
		と無情に叫ぶ。わざわざ北京まで来て、たった20分! あんまりや。おまけに「写真撮影禁止」で、ここに掲示できる写真はない。
		目録からSCANした写真のいくつかをここに掲載するが、次回は是非自分の目で見てみたい。ここは必ずリターンマッチするぞ!

 


		中国歴史博物館は、その展示が原始共産制から始まり、偉大な毛主席による革命で終わっていて、その展示・啓蒙の思想を貫いてい
		るのは、「これらの歴史的遺物は、貴族の人民に対する搾取の証」というものである。同時に垣間見えるのは、漢民族中心主義でも
		ある。敦煌を初めとし、中国の歴史的な文化資産は、大部分が西洋の学者によって持ち去られ、現在大英博物館やフランス国立博物
		館の所蔵品となっているし、また日本も大谷探検隊が多くの文化資産を中国から持ち去り、現在東京国立博物館、龍谷大学、大谷大
		学などに分散し所蔵されている。中国側はこうした行為を列強による略奪として激しく非難している。しかし、一方では中国は新彊
		ウィグル地区やその他の少数民族に対しては、「(漢民族である)中国が虐げられている民族を解放した」というスタンスを取って
		おり、これらの民族の文化遺産は中国が搾取しているのである。やられた事をやりかえしているのだ。




		略奪と破壊は中国人自身の手によっても行われた。中国で見かける仏像のほとんどすべてが、目や鼻のない無惨な姿になっているの
		は、30年ほど前の文化大革命の傷跡である事は周知の事実である。博物館を貫いているマルクス主義教条は、今の中国にとっては
		化石のようなものであるが、かつての共産主義の理想とその教条が、今でも博物館には堂々と陳列されている。漢民族による周辺民
		族の征服をこのような形で見るところにも中国の欺瞞がある。

 


		中国通史と言うだけあって、以下のカタログに納められているこの博物館の所蔵品は垂涎ものである。このうちの幾つかは「中国展」
		「漢王朝展」「秦の始皇帝展」などで、日本でもおなじみのものがあり、私も実物を見た記憶がある。青銅器、陶器、漆器、玉器、
		絵レンガ、金銀器などなど。いつまで見ていても見飽きない。カタログでそうなのだから、実物を見たら座り込んで動かないので
		はなかろうか。ともあれ、このカタログからSCANした一部の収蔵品を紹介する。I shall return!


以下の時代区分をクリックして下さい。展示品画像へ飛んでゆきます。











尚、展示品はまだまだ山ほどあるのですが、scannningにも疲れたし、まぁ「邪馬台国」に関係有りそうな所までで勘弁してください。







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