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遙かなる中国 冬の北京を往く 2003年2月14日


		空港に北京の旅行社の劉(りゅう)さんが迎えに来ていた。25名2班計50名は、2台のバスに乗り込んで北京市内へ向かう。
		途中、劉さんが、中国について、中国での旅の注意点等々を説明してくれる。北京市(beijing)は人口1,246万人、面積は
		1.68万平方km。ほぼ四国と同じ大きさだという。驚いてしまう。四国全体が一つの市である。北京は、春秋戦国時代に燕国が
		都をおき、「燕京」と称した。王朝として北京に都をおいたのは、金、元、明、清で、金では「金都」、元では「大都」、明は
		初め、「北平」と称したが1403年に「北京」と命名し清を経て現在に至っている。明、清の二王朝にわたって、約500年
		間皇帝の公務、儀式の場であると共に私的な住居であった紫禁城は、いまは故宮博物館となっている。バスは天安門広場、歴史
		博物館等の横を通り抜け、西太后の別荘であったという頤和園(いわえん)へ向かう。


添乗員の劉(りゅう)さん。中国の北東部、ハルピンに近い町の生まれ。冬はマイナス30度はザラだと。
「小さい頃日本人が近所にいてずいぶん可愛がって貰った、その時日本語に興味を覚えた。」と言っていた。




ここで、頤和園に行く。(クリックしてもここからは見れません。)



 

上左が、天安門広場近くの地下鉄の入り口。

 
		頤和園は北京市の西北にある。空港から北京市の市街を取り囲む環状線道路(北四環北路、北四環中路、北四環西路)を通って
		頤和園へ行き、市街地へ戻ってくる。中国歴史博物館は天安門広場に面しているからだ。歴史博物館は驚くべき事に20分しか
		いなかった。しかも見たのは「唐」の時代の一部屋だけ。いかにツアーと言えどもこの博物館を20分というのはあんまりだ。
		これがツアーのツアーたる所なのだろう。陳列品一覧の本を買ったが、中国の原始から近世までの展示品がある。むごすぎる。


ここで、中国歴史博物館に行く。(同じです。)



		<琉璃廠>
		書画骨董、文房四宝などの専門店が立ち並ぶ、北京で一番古い商店街。WIFEはここで、趣味の書道の硯石と筆を買っていた。
 

 

 





 

北京市街に古ぼけた壁があって、どうも胡同(フートン)の壁ではないようである。劉さんが説明してくれる。かっての「北京城」の外壁だそうだ。

 



中国のビルディングは、ほとんどが屋上に屋根がある。日本でもたまに見るがここでは屋根のないビルの方が珍しい。

 

上左、CANONの看板がある隣のビルが今夜の宿、長冨宮飯店(ホテルニューオータニ)だが、ここを通り過ぎて今夜の夕食”北京ダック”へ。




夕食の後、<雑技団鑑賞>



		解説にはサーカスのようなとあったが、サーカスよりもアクロバットである。人間は訓練次第で何でも出来るんやな、という気に
		なる。それにしても、女の子の体型がずんぐりむっくりのポッチャリ型なのには驚いた。脚などおそろしく太い。一昔前の日本と
		同じである。生活程度が、人間の体や精神に及ぼす影響の具現化を見たような夜だった。やがて中国人の体型も足長、細頭という
		西欧型に変わっていくのだろう。結局、人間社会の究極は、「飢えて死ぬ」事のない社会作りがまず文明化のスタートなのだろう。
		それが達成されるまでは革命や内紛は収まらない。誰もが健康で文化的な生活を営む事ができるようになるまでは、みんな必死で
		生きていくしかない。日本もついこの前までそうだった。中国を見ていると、イデオロギーなんかはほんとに庶民にとっては何の
		関係も無いな、という気になる。イデオロギーは、誰もが飢えて死ぬことがないような社会になってはじめて必要な思想なのかも
		しれない。




雑技を鑑賞しながら舐めたハーゲンダッツ(だったと思う?)のアイスクリーム。10元(150円)。町中で食べれば2〜3元。





 

1台の自転車に最終的には14人が乗った! 驚いてしまう。


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